2015年11月19日木曜日

東京百景52「晴海埠頭」

間違いなく、デートコースである。

1992年から職場の女性と交際を始めて、1993年4月に結婚した。

交際中に必要だと考え、マイカーを購入した。メタリックグリーンのスターレットだった。

そのマイカーで晴海埠頭に向かった。数回行った中で一番記憶に残っているのが、レインボーブリッジだ。

レインボーブリッジ開通が1993年8月となっているので、開通後に晴海埠頭からその雄姿を見に行ったのだろうか、あるいは開通前だったので晴海埠頭から見ることにしたのか。ただ眺望的には、絶好の場所であることには違いない。

その頃住んでいたのが日野の豊田だったんで、中央高速から首都高を利用して向かったのだと思われる。

薄れてゆく記憶の中で、レインボーブリッジだけが燦然と輝いている。何を彼女と語らい、何をしていたのか……。正直本当に思い出せない。情けない……。

2015年11月18日水曜日

東京百景51「佃大橋」

心臓手術前だったから2006年から2007年くらい、自身だと45歳前後の話……。

話というほどのことでもないのだけれど……。

当時勤めていた眼鏡店の銀座東店に時々応援で通っていた。
銀座東とはいうけれど、最寄りは都営浅草線の宝町という駅(地上までの階段の段数が多い!)

当時は、江東区の森下に住んでいたので、都営線つながりで、乗り換え1回で計4駅程度の短い通勤距離だった。

閉店しての帰り道。たまには別ルートで帰ろうと考える。
森下には2000年に都営大江戸線が開通していたので、隅田川を越えていけば月島駅辺りにでるだろうと気ままに散策気分……。

意外と歩く。

途中新富町駅で営団地下鉄に乗ろうと日和る気持ちも生まれるが、たったの一駅だ。

佃大橋のふもとにたどり着き、数段の短い階段を上る。
目の前には月島の高層マンション群で、それはもう今までの徒労を忘れるほど美しく感じられた。

そして夜の隅田川は穏やかで、時折ライトアップされた舟が橋下を通り過ぎていった。

佃大橋は、そうやって数回利用された。

心臓手術後、所属店異動に伴い、そこへ行くことはなかったと記憶する。

2015年11月15日日曜日

今年のライブを振り返る!

ユニットが3月末活動停止に追い込まれ、ソロ活動を余儀なくされる。
迎えた4月、オリジナル回帰をテーマにソロライブ!
40代の作品「残滓」
5月には、友人たんぽぽさんのお誘いで岡山遠征!
20代の作品で「孤独な街の冒険者」
6月には、ギタリストとして若者に混じりながら、音楽活動を続行!

7月、8月は夏の唄メドレーとかで何とか切り抜け9月以降はまたオリジナル回帰!
20代の作品で「地下鉄」
なお活動は続くも、少し息切れ状態……模索中である。

消えて行く往年のスター


消えて行く往年のスター
2015年
消えて行く往年のスター
親父が嘆いてた
子供だった僕はその人の事など知らず
宿題を嘆いていた

消えて行く往年のスター
お袋が悲しげに
涙を浮かべた瞳の向こうにある
テレビのワイドショー

親父もいつしか草葉の陰に
お袋も記憶が曖昧になって
今度は僕が嘆く番になった

消えてゆく僕らのヒーロー
正義と勇気を教えてくれた
消えてゆく僕らのヒロイン
スキャンダルさえ勲章だった

静かに流れてゆくニュース
今までは他人事だった
だけどまさかそれがあいつだなんて
そんな時代になった

そりゃあ、いつかは誰だって
尽きてしまうのが命だって
わかってるはずなのに煮え切らない
遣る瀬無いこの気持ち

あいつより長く生きる意味が
果たして僕にはあるのか
今日はいつもより深酒の予感がする

消えてゆく僕らのヒーロー
真似をして怪我をこさえた
消えてゆく僕らのヒロイン
いろいろ世話になったよ

消えてゆく僕らのヒーロー
君たちには、往年のスター
  4年ぶりの作詞作曲となります。 いろんな方が、実際亡くなられてゆくのは、本当に悲しいです。 オヤジ世代だと銀幕のヒロインだったりするんでしょうが……。 我々にとっては、ロックスターやグラビアアイドルが、いなくなってゆく……。 自分の思い出の一部ですよねえ。心がもがれてゆく。 歌詞を書くきっかけは、高倉健さんでした。 それを完成させて、附曲に導いたのは川島なおみさんの訃報でした。
弾き語りのライブ映像
これは 星空文庫TOKYO EARLY 3 YEARS −1982年− を参照いただければと思います。まあ、かいつまんで言うとアマチュアロックバンドの名前です。